はじめに:DEIって、本当に必要なの?
近年、ゲーム業界で耳にすることが増えた「DEI」という言葉。
ダイバーシティ(Diversity=多様性)、エクイティ(Equity=公正性)、インクルージョン(Inclusion=包括性)の頭文字を取ったもので、簡単に言えば「多様な人々を受け入れ、誰もが平等に活躍できる社会を目指そう」という考え方です。
一見、素晴らしい理念のように聞こえますが、このDEI運動が僕たちゲーマーが愛するゲーム業界に、百害あって一利なしの悪影響を与えているのではないかと感じています。
私が実際にプレイしてきたゲームの変化やネット上で見かける声をもとに、DEIがゲーム業界に与えた負の側面について、一人のゲーマーとして率直に語ってみたいと思います。
キャラクターデザインの画一化と魅力の喪失
DEI運動が最も顕著に現れているのが、キャラクターデザインです。
多様性を尊重するあまり、特定の文化や人種に偏らない無難で画一的なデザインが増えてきたように感じます。
- 「美人」「イケメン」が減った?:セクシャルな表現や、極端に魅力的な外見を持つキャラクターが、「ステレオタイプ」として避けられる傾向にあります。その結果、個性が薄れ、キャラクターとしての魅力が失われてしまっているのではないでしょうか。
- 文化的な背景の希薄化:特定の文化に根ざしたキャラクター(例:日本の侍、中国の武闘家)が、安易な描写だと批判されることを恐れ、無国籍で無難なデザインに落ち着くケースが増えています。昔のゲームには、その国の文化や歴史を色濃く反映した、ユニークで魅力的なキャラクターがたくさんいました。その魅力が失われつつあるように感じます。
ゲームの醍醐味の一つは、個性豊かなキャラクターに出会い感情移入することです。
DEI運動はその醍醐味を奪い、ゲームの世界を退屈なものにしているのではないでしょうか。
ゲームでくらいイケメンや美女を操作したり見たりしたいじゃないですか!?
誰がゲームという空想の世界でブサイクを見たいと思うでしょうか。
主人公がブサイクなゲームはそれだけで購買意欲がなくなってしまいます。
物語の英雄たる主人公は美女やイケメンであるべきです!
批判されようと私はDEI運動に屈したゲームを認めるつもりはありません!
物語や世界観への不自然な介入
DEI運動は、キャラクターだけでなくゲームの物語や世界観にも影響を与えています。
- 無理やりな多様性の押し込み:本来の物語や世界観に合わない、不自然な形で多様な人種やLGBTQ+のキャラクターを登場させるケースが見られます。例えば、中世ヨーロッパ風のファンタジー世界に、現代的な価値観を持つキャラクターが唐突に現れるなど、没入感を損なうことが多々あります。
- 表現の自主規制と物語の制限:「人種差別的だ」「女性差別的だ」といった批判を恐れ、開発側が表現を自主的に規制する傾向が強まっています。その結果、倫理的に踏み込んだ描写や、物議を醸すようなテーマが避けられるようになり、物語の深みが失われているように感じます。
物語は、作者の個性や思想が詰まったものです。
そこに外部の価値観が不自然に介入することで、本来描かれるべき物語が歪められ面白さが半減してしまいます。
最近ではアサシンクリードシャドウズが弥助騒動で大炎上していましたね。
DEIを意識して黒人主人公を見つけたはいいが、時代考証や設定がガバガバでゲーマーからは猛反発が起きてしまっています。
ゲーム本来の面白さからの乖離
ゲームの最も大切な要素は「面白さ」です。
しかし、DEI運動はこのゲーム本来の面白さよりも社会的なメッセージや政治的な正しさを優先しているように感じることがあります。
- 「教育ツール」としてのゲーム:ゲームを「DEIを啓蒙するための教育ツール」として利用しようとする動きが見られます。しかし、ゲーマーが求めているのは純粋に面白いゲーム体験です。説教じみたメッセージを押し付けられることに、多くのゲーマーは反発を感じています。
- ゲーム性の犠牲:例えば、オンライン対戦ゲームで特定のキャラクターを強化しすぎたり、弱体化しすぎたりする調整が、性別や人種といった要素を考慮しているのではないか、と疑われることがあります。公平性が何よりも重要な対戦ゲームにおいて、ゲーム性とは無関係な要素がバランスに影響を与えているとすれば、それはゲーマーにとって許容できるものではありません。
ゲームは現実のしがらみから解放され純粋に楽しむためのものです。
そのゲームの世界に現実の政治や社会問題が持ち込まれることは、ゲーマーにとって大きなストレスとなります。
まとめ:DEIはゲームの世界をより良いものにしたのか?
私は多様性や公正性といった考え方そのものを否定するつもりはありません。
現実社会においてDEIは間違いなく重要な概念です。
しかし、ゲームという「架空の世界」にまで現実の価値観を無理やり持ち込むことは、ゲーム本来の面白さを損なうことにつながっているのではないでしょうか。
ゲームは、誰もが平等に楽しめる「自由な世界」です。
そこに不自然な多様性を押し込んだり表現を制限したりすることは、かえってゲームの世界を狭くしているように感じます。
DEI運動は、ゲーム業界に「百害あって一利なし」です。
僕たちゲーマーが本当に求めているのは、国籍や性別、人種に関係なく純粋に楽しめる最高のゲームなのですから。
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